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REPORT

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真冬の山間から

聴こえてこえてきたのはカリブ海の音

スティールパン作家

生田 明寛

 養父市大屋町にある「おおやアート村BIG LABO(以下、ラボ)」は、廃校になった高校を活用した施設である。地域の芸術家が各教室を工房として使ったり、ワークショップを開いたりしている。

 その一室からは、「カンッーカンッー」という金属を叩くような音が聴こえてくる。音の主は生田明寛さん。5年前、このまちに移住し、この工房を借りてスティールパン作りを始めたという。スティールパン(以下、パン)とは、ドラム缶を金槌などで叩いて凹ませて作った打楽器で、木琴や鉄琴のようにドレミファソラシドの音階を奏でる。生まれはカリブ海に面したトリニダード・トバゴ共和国。現在、日本でパンを作っているのは生田さんただ一人だという。

 

 生田さんがパンと出会ったのは、9年前の京都でのこと。当時、仕事の息抜きで通っていた民族楽器店で見つけた。触れてすぐにその音に夢中になった。「ドラム缶からなんでこんな音が出るのか不思議で仕方がない。音が鳴る仕組みを知りたい」。

 好奇心をかき立てられた生田さん、インターネットや海外で出版されている本、DVDなどでパンの作り方を調べまくった。ドラム缶を金槌で叩いて滑らかな形に凹ませてから、さらに音が鳴る形に仕上げていく、その工程を見て思ったのは、「難しい知識がいらなさそう。僕でも作れそう」ということ。もともと、物作りには興味があった。日本でパンを製作する人が一人しかいない(当時)という珍しさにも魅かれ、作りたい気持ちが一気に膨れ上がった。

 最低限の工具を揃え、リサイクル工場からドラム缶を買い、見様見真似で作り始めたのはパンと出会ってから2年後のこと。市内に借りているアパートでは近所迷惑になるので、山奥の登山道まで車を飛ばし、人のない場所でドラム缶を叩き始めたのだった。

 そこから、我流でパンを何個か作ったり、バイトで稼いだお金をすべてつぎこんで本場トリニダード・トバゴに飛び、職人にパンの作り方を一から教えてもらったりと、技術と経験を着実に積んだ。ただ、ずっと生田さんの悩みの種だったのはパンの製作場所。パンを作るにはどうしたって大きな音が出てしまう。修行後は京都市に近く、人が少ない場所に工房を借りたりもしたが、近所からの苦情ですぐに活動休止。「都会では作れない」と途方にくれていた時に知ったのがラボだった。

 ラボに決めた理由は、パンに理解がある場所だったから。当時からラボでは、パン奏者の山村誠一さんがワークショップを開いていたり、スタッフにパンの経験者がいたりと、パンに馴染みがあった。さらには、町内にもパンの演奏グループがあって「安心感を覚えた」と生田さんは言う。ラボの人に「ここで作ったらいいよ」と声をかけてもらえて、工房を借りることを決意した。

 さて、ラボにある生田さんの工房にお邪魔すると、ちょうどお客さんのパンの調律中だった。北は北海道、南は沖縄、はたまた近所のパングループまで、いろんな人のパンをメンテナンスするという。今や、全国の演奏者にとってなくてはならない存在なのだ。

 生田さんが作ったパンも見せてもらった。主旋律を弾くパンや、ベースを鳴らすパンなどなど。試しに叩くとキラッとしたきらびやかな音が教室に響いた。

 生田さんの今後の目標は、もっとたくさんの人にパンのことを知ってもらうこと。最近では、工房で初心者向けの教室も始めたという。「すぐに曲が叩けた!楽しい」と参加者からの評判も上々だ。

INFO

IKUTA STEELPAN

www.ikutasteelpan.com

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